鈴木さんは東京都出身。自分を取り上げてくれた産科医にかわいがられた。大きくなってから耳が痛くなった時も耳鼻科ではなく、その産科医の所に行くと、耳の中を照らす鏡を額に付け「自分にだって診られるんだぞ」と診察してくれた。「生まれた時だけでなく、その後も子どもたちを見守る先生の姿を見て、医師になりたいと思いました」 スリーウェイシリンジ

 

 高校卒業後、医学部を目指した。しかし受験に2度失敗。医学部進学を諦め、78年に日本大学歯学部に入学した。6年後に歯科医師免許を取得し、自分にふさわしい歯科医の姿を模索していたところで、転機が訪れる。超音波スケーラー

 

 大学では、歯を抜かずに残して治す「保存修復学講座」に入局した。新入局員は研修を兼ね、伊豆七島の一つ、新島(東京都新島村)の診療所に1カ月交代で出向くことになった。島民約2900人の歯科医療を担っていたのは、臨床経験3年以上の先輩と新人の2人だけ。島は巡回診療の歴史が長く、歯が痛いという患者がいたら歯を抜き、次の診療で義歯を入れるケースが多かった。鈴木さんは延べ3カ月の診療期間中、歯を治療しようとしても「痛いので抜いてくれ」と訴えてくる島民たちに戸惑いつつ、島の歯科医療を変えたいという思いを強めた。

 

 5年後、結婚したばかりの千春さんと新島に戻った。任期3年で診療所の常勤歯科医となったのだ。朝9時から夕方5時までの診察が基本だったが、狭い島ではどこでも患者と出会う。休日でビーチにいると「診療所歯科の鈴木先生いらっしゃいませんか」とライフガードに呼び出されたり、悪天候で海がしけると漁師たちから「診てくれないか」と押しかけられたりした。鈴木さんは自らのクリニックを開業以来「いつでも、どこでも、だれにでも」というモットーを掲げるが、これは新島での体験で得たものだ。

 

 「急きょ勉強会を開くことにしたから来てほしい。普段やっていることを話してよ」。今年8月中旬、鈴木さんの元に静岡県沼津市で開業する友人から講演の依頼があった。その2週間前、沼津市内の歯科医院で、治療中の患者がHIV陽性だと知った歯科医が転院を促したことが一部の新聞で報じられ、問題になっていた。市歯科医師会は陽性者の受け入れに協力する歯科医院があれば登録し、HIV治療の拠点病院から紹介を受けるネットワーク作りを模索している。鈴木さんは「これからどうすべきか考えることは素晴らしいことだよ」と快諾した。

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